1958(昭和33年)
沿 革
1970(昭和45年)
笛吹市の土や気候が桃ぶどう作りに適していることから、だんだんと桃ぶどう農業が盛んになってきました。当園でも桃だけでなく、ぶどうも取り扱うようになりました。
この頃はまだぶどうの品種も多くなく、当時はベリーAだけを作っていました。
1973(昭和48年)
両親の後を継ぎ、ももとぶどうの生産を本格的に生業としたのは初代園主、赤尾明が当時26歳の頃でした。
笛吹市の土や気候が桃ぶどう作りに適していることから、だんだんと桃ぶどう農業が盛んになってきました。当園でも桃だけでなく、ぶどうも取り扱うようになりました。
この頃はまだぶどうの品種も多くなく、当時はベリーAだけを作っていました。
両親の後を継ぎ、ももとぶどうの生産を本格的に生業としたのは初代園主、赤尾明が当時26歳の頃でした。